丸わかり!大会公式キャラクター “K” about “K”
はじめに
みなさん、先日公開された今大会のプログラムはご覧になりましたか? キッチンカーやグッズ販売、協賛いただいた企業様に関する情報など、新しい情報が盛りだくさんですので、ぜひご一読ください!
そのプログラムにも掲載されていましたが、今大会の公式キャラクターは↓

今回の記事では、私たちが(勝手に)大会キャラクターにさせていただいた“K”について、プログラムには書き切れなかった細かい部分も含めて掘り下げていきます。
“K”の概要
そんな“K”、この金沢では古くから目撃されていたようです。言い伝えによると、人々を見守るかのように木の上に止まる様子が、金山を掘る鉱夫たちの間で戦国時代から既に知られていたとか。当時の古文書には、「鷄」という名前で記録が残っています。とてもニワトリには見えませんが、なぜこの字が当てられたのかは気になるところですよね。近世以降になっても、金沢山に入った麓の村人たちが山の中で“K”に出会った、という話はしばしば聞かれたそうです。中には、“K”の後についていったら美しい花畑にたどり着いた、なんて話も。まるで山の化身や守り神のようですね。金鶏金山という場所について、調査していないエリアも含めれば、“K”以上に詳しい存在はいないかもしれません。
昨年の夏、渉外のために金沢地区を訪れた私たちは、地元の方から“K”についてのお話を伺いました。最初は伝説や昔話の類にすぎないと思っていましたが、ある運営者が調査中にその煌々たる姿を目撃、“K”が実在することは運営者全員の知るところとなりました。その後も、テレイン内の各所で目撃証言が相次ぎ、伝承に語られる耀かしい鳥・“K”の存在は私たち調査者にとって身近なものになっていきました。こうした背景から、春先に開かれた大会公式キャラクター決めの会議では、“K”こそがふさわしいのではないか、という結論に至ったのです。その熱に押されたロゴ・Tシャツ担当が急ぎ描き起こしてくれたのが、上掲のフラッグをくわえた“K”のイラストなんですね。私も本物の姿を見たことがありますが、精悍な顔立ちがよく特徴を捉えていると思います。
“K”は何者なのか?
曰く、“K”はこちらを視認するとゆっくり近づいてきて、はっきりと人間の言葉を使って話しかけてきたというのです。信じがたい話ですが、かじもんが嘘をつくような人でないこともまた事実。少なくとも我々運営者は、彼が聞いたという“K”のことばも正しいのではないかとみています。
“K”が古風な言葉遣いで語ったという内容を箇条書きにすると、以下のような感じです。
- “K”は、遥か未来からやってきた、現生鳥類の遠い子孫である。
- “K”の時間遡行の目的は、自身が存在する未来が過去の改変によって変わるのを防ぐため。
- “K”はこれまでにも、特定の歴史的事象を正常に完了させるべく過去に介入してきた。
- 「武田氏による信濃征服」も、“K”の未来につながる重大な歴史の分岐点の一つだった。
- “K”は信濃攻略に十分なレベルまで甲斐国の国力を高めるべく、16世紀前半に飛んだ。
- “K”は「鷳」と名乗り、武田晴信(信玄)に仕えて政治・軍事の面で彼を補佐した。
- “K”は甲斐による諏訪地域平定後、金沢山に金脈があるのを発見して晴信に伝えた。
- 20年弱経ち、“K”は甲斐国の国力の充実を感じ、己の役目は果たしたと考えた。
- “K”は自然豊かな金沢山を気に入っており、それ以降はずっとここで暮らしている。
ここで、改めてこのとんでもない超常的存在である“K”について考えていきましょう。本人(本鳥?)曰く、“K”は16世紀前半から20年弱もの間、かの武田信玄のもとに仕えて活躍し、「北信濃攻め」の折に戦線を離脱したようですが、ちょうどその時期に信玄の側近として名を馳せた歴史上の人物がいますよね?
そう、大河ドラマ「風林火山」でおなじみの軍師・山本勘助です。
戦国時代の武田氏の動向を伝える史料としてよく知られる江戸前期の軍学書『甲陽軍鑑』によれば、勘助は1543(天文12)年に信玄に仕官し、その深い見識や巧みな軍略で名声を誇りました。そして1561(永禄4)年、信玄が上杉謙信の軍勢と激突した第4次川中島の戦いにおいて討ち死にしたといわれています。“K”が信玄の下にいたのは、まさにこの頃。信玄が諏訪地域から信濃国に攻め入り、東北信に支配を及ぼした猛将・村上義清を一進一退の攻防の末に下すなど、着々と信濃国を手中に収めつつあった時代ですね。
“K”が話したという上記の内容を聞いた我々運営者は、ひとつの仮説を立てました。
「史料において『山本勘助』という人間として語られる存在は、実際には“K”のことなのではないか? そうではないにしろ、山本勘助と“K”の間には何らかの関連を認められるのではないか?」
と。
そもそも山本勘助は、『甲陽軍鑑』とそれ以降の近世に書かれた著作にしか登場しないため、一時は架空の人物ではないかという説さえ出ていました。近年では「山本菅助」なる信玄の家来がいたという史料が出てきているようですが、この人物を山本勘助と直ちに結びつけることには慎重な意見もあるようです。ここから考えると、
- 山本勘助とは実際には“K”のことであり、『甲陽軍鑑』の著者、あるいはその写本の作者が、信玄に仕えた人語を話す鳥を荒唐無稽な存在と断じて、『山本勘助』という架空の人物として描いた。
- 山本勘助(菅助)という人物は実在したが、彼のものとされる事蹟は実際には“K”が成したもので、山本勘助の名は後世の史料の作者によって借りられたにすぎない。
- 山本勘助(菅助)は実在したが、その伝説的な業績の数々は、彼が甲斐国に入る前後に接触し、以後1561年まで行動を共にした“K”の助言や助力によって成し遂げられたものだった。
など、さまざまな可能性が想定できます。この両者の関係については、最初に挙げたものが運営者の中ではやや優勢ですが、割と意見が割れるところです。
また気になるのは、“K”がこれ以前にもタイムスリップを行い、過去を改変してきたかのような発言をしていることです。もしかすると、日本、あるいは世界の歴史を遡れば、それらに登場する霊鳥の類が“K”やその同族に比定できるかもしれません。個人的には、『日本書紀』に出てくる、神武天皇を助けた煌びやかな鳥・金鵄や、ヨーロッパにおいて信じられてきた、病人のもとに現れて病を吸い取って飛び去っていくという鳥・カラドリウスなんかが怪しいのではないかと踏んでいます。これを読んだみなさんの意見も伺いたいところですね。
キャラ設定裏ばなし
未来からやってきた“K”という鳥は存在しません。金沢地区にはそんな鳥に関する言い伝えはありませんし、調査中に私たちが目撃したのは一般的な生態の野鳥たちだけです。山本勘助が人間ではなく喋れる鳥であった可能性は0ではありませんが、よほど決定的な史料が出てこない限りは検証しようがありません。
実際には、“K”の姿をデザインしたのはロゴ・Tシャツ担当の牧戸であり、その設定は主に競技責任者・大森と私・宇田の暴走白熱した議論によって生み出されたものです。ここからは、いかにして大会公式マスコットキャラクター・“K”が誕生したのかについて語っていくとしましょう。
大会のキャラクターをどうするかについての検討が始まったのは、1月末〜2月にかけて。当時の議論の記録を見ると、初期案ではモチーフはそもそも鳥ではなく、武田氏ゆかりの山ということで侍や足軽のような姿でした。イメージとしては、より人型に近づいたひっこみ武士(第47回東北大大会@奥武士)といった感じでしょうか。これはこれでかわいかったのですが結局没になり、3月半ばに満を持して登場したのが、鋭い目と堂々たる翼を備えた、後に“K”と名付けられることになる鳥のキャラクターだったのです。
ここで改めて“K”の全身像を見てみましょう。

ちなみにここだけの話、元々はフラッグ以外に色がついていない極めてシンプルな姿だったのですが、運営責任者・角谷の鶴の一声でカラフルになりました。モノクロ時代の“K”は屏風に描かれた墨絵のようで、また違った魅力があって私は好きです。

かくしてキャラクターの外見は無事に決まったわけですが、名前と設定の検討は難航しました。この姿に釣り合うような名前は一体どのようなものなのか? この鳥と金鶏金山にはどのような関係があるのか? 人の言葉は話すのか? 大きさは? そもそもこの鳥は普通の鳥? それとも神やそれに準ずる存在? 名前や設定の案は散発的に出されていましたが、基本的な部分さえなかなか決まらずにただ時間だけが過ぎてゆき、気づけば5月の下旬になっていました。これはマズい。
そんな中、調査ももうじきクライマックスというある日、ちょ宿近くのお風呂に向かう折、我々は“K”の名付け親である大森を含む若干名で非公式にキャラ設定についての話し合いを行いました。これが思いの外盛り上がってしまったのです。大森の発言を簡単に整理すると、
- “K”は、歴史を守るために未来からやってきた
- “K”の本来の名前は人間には知覚できず、“K”という人間側からの呼称はヒトの知覚可能な範囲で近似した結果
という感じ。おわかりのように、設定の根幹はこのとき彼によって提示されています。だいぶ攻めたな〜と思いましたが、実はこのタイムパトロール的設定は結構便利なんですね。というのも、キャラの設定を考える上で問題になっていたいくつかの事象をうまいこと処理できるからです。
第一に見た目の問題。「なぜ金『鶏』に着想を得たキャラクターなのに、ニワトリらしからぬ見た目なのか?」という疑問は運営者内部からも出ていなかったわけではないのですが、この鳥が未来の存在だとすると、具体的な時代を設定しなければ、「ニワトリとは近縁だが、極めて長い時間を経て現生の猛禽類に近い姿になった」と、いささか強引に解決できます。
次に、キャラクターと金鶏金山の関係性という点。“K”が守ろうとしている「歴史」とは何か、ここの設定次第で両者の関係はいくらでも作れます。当初、この「歴史」は「第47回東大OLK大会の成功」でもよいと考えましたが、金沢という地の過去、すなわち武田信玄による金山開発とも結びつけられるではないか、と気づき、現在の設定に至りました。
さらに、本来の名前は別にあるが我々には知り得ない、という設定のおかげもあり、最も悩ましく手間のかかる命名のフェイズをすっ飛ばせるのもありがたかったりします。
こうして生まれた基本設定をもとに肉付けされすぎたのが、プログラムとこの記事前半に載っていた“K”の設定というわけです。その過程についても少々書いておきます。
“K”が信玄に仕えていたとしたら『甲陽軍鑑』にも載っていそう、という話は既に入浴中に出していたのですが、そのとき大森は「Kからはじまる人だといいよね」と答えてくれました。そんな都合のいい人がいるだろうかと思いましたが、数日後にふと思い当たったのが山本勘助。信玄の側近にしてイニシャルがKの伝説的人物、まさに求めていた条件にピッタリでした。さらに調べていくと、山梨県甲州市にある恵林寺の近くには、「勘助不動」と呼ばれる隻眼の不動明王像があるとか。テレイン内にも不動明王の碑があるので、こんな奇跡があるのか……と思いましたね。
また、初期案から変更されているのが、なぜ“K”という呼ばれ方をしているのかという点。上述のような説明をされたときは、旧支配者が一柱・クトゥルフと同様に、本来人間には発音できない名をどうにか発音可能な形に近似したものが“K”なのだという理解をしました。ですが、それにしては1音節の“K”はかなりシンプル。よって最終的には、人智を超えた力によって名前の知覚を阻害し“K”という名だと誤認させている、という、よりオカルティックな設定に落ち着かせました。まあ遠い未来のいきものなら、そんなことができても不思議ではないんじゃないでしょうか。
最後に、“K”という名前について説明しておきましょう。
私は初めてこの名前を見たとき、夏目漱石の某小説の登場人物かと思いましたが、名付け親曰く、“K”とは「鶏」であり、大会責任者の下の名前の漢字・「慧」であり、「金」「鶏」「金」山(“K”in“K”ei-“K”inzan)のKなのだそうです。また、金沢の頭文字もK。さらにいえば、今大会の六役のうち、半数の名字のイニシャルがKだったりもします。現代英語の黙字として代表的な文字でもある“K”という名前、変化球にも思えますが、実は色々な意味が掛かったテクニカルな名前なんですね。
おわりに
約1週間後に迫っている大会の当日も、運が良ければ競技中に“K”と巡り逢えるかも……? 我々運営者も、“K”が観戦に訪れてくれるような素晴らしい大会を目指して準備を進めていますので、どうぞお楽しみに!